先代のことを直接知らない新しいお客様、
スタッフも増えてきましたので、
ちょいちょいブログの中でも名前が出てきてる
先代(先生)(僕の母親)が
どんな人だったのかを
伝えられたらと思います。
一言で!!
めちゃくちゃ厳しくて、
温かくて、
情にもろくて、
プロフェッショナルな人!!!
こんな感じかな
とにかく僕に対しては、
小さい頃から口より先に 手が飛んできて、
しばかれることは日常茶飯事。
もうボコボコ…これが当たり前やと思ってたけど…
めっちゃ怖かった!
けど、嫌いじゃ無かった!
いつも誰に対しても
一生懸命で、自分の事より
人のこと を優先させる人で、
僕の同級生なんかは
僕が家に居ないのに
先生に飯食べさせてもらってる奴が居た。
色々話聞いてもらって、最後は
しっかりせぇ!!
って言われて終わり!
ホンマに竹を割ったような
サバサバした感じ何やけど
実は、
めっちゃ繊細で
気にしぃで
女性らしい人でした。
毎日、営業始まる前に
その日の晩御飯を
家族の分ちゃんと準備して
僕がどんだけ遅くなっても
温め直してくれた。
一人暮らしのスタッフさんには
毎晩おかずを持たせてあげたり
結婚してるスタッフさんにも同じようにしてました。
僕はこの世界に入ってからは、母親の事は 仕事中もプライベートでも
先生
と呼んでました。
だから今でも先生です。
沢山話たし、
沢山揉めた
やっぱり人生かけて大きくしてきた店を
なんぼ息子とはいえ、
継がせる時に
気に入らん事!
考え方、やり方が違う事!
山程あるに決まってる…
何ヶ月も口聞かん事もあったし…
その時のスタッフさんは本当に やりずらかったと思います。
すいませんでした
お客様が何かの都合でもう来店出来なくなった
最後の日なんかは、
お客様の前でも平気でうぉんうぉん泣くし、
気に入らんお客様なら
「もう来ていらん!!」
とかしょっちゅう言うてました(必ずまた来るんですが)
感情の趣くままに生きてる!
そんな人でした
僕がまだ若い時に一緒に仕事していて
今でも1番心に残ってる言葉は
「お前は職人や!経営者には絶対になれん!!」
言われた当時はそ
の言葉の意味が理解出来ずに、
「仕事が出来たらええんやろ!何の 問題があるんや!」
って本気で思ってました。
この考え方が原因で、その後どえらい苦労するとは…
これについては『オーナーの今に至るまで』の、続編でお話しします。
オーナーの今に至るまで4(美容師波乱編)
オーナーの今に至るまで5(美容師熟成編1)
しかし、先生は怪物でした。 70歳超えても、
僕や他のスタイリストと変わらない
客数、売り上げ、
そして成人式などの着付けは更に超怪物!
1日に20人超の着付けをして、
その後遊びに行って、行方不明!
そんな先生に、あんな事が起きるなんて想像もしなかった
先程から、全部過去形になってるの
お気付きかもしれませんが
先生はもうこの世に居ません 7年程前に、
いつもなら自分が担当してるお客様を途中で
誰かに 任せるなんて絶対有り得なかったが、
ある日突然
「ちょっと後頼んでええか?」
こんなやりとりが、少しづつ増えていき
今まで見た事ない先生の姿が目の前にありました。
数日後、あまりにも体調が優れないので
かかりつけのお医者さんに 父親と行き、
すぐに大きな病院で検査する様に言われ
行ったのですが、
その夜 仕事終わってから、
父親に呼び出され外で話がしたい。
先生には聞かれたくない内容やから…
嫌な予感しかしなかった
すい臓がん!ステージ4!余命1ヶ月!
はぁ?誰の事言うてんねん?
その日から先生の
人生のカウントダウン
が いきなり始まりました。
本人には告知してないので、
知らないふりをしながら 毎日の営業。
先生も辛そうやったけど仕事してました。
病院からは 「すぐに入院してください!」
先生が素直に言う事聞く訳が無い
12月最初の頃だったので
年明けには成人式があり、
その準備 もあったので成人式終わったらしますって言うてましたが、
そこまで持つか微妙な状態!
何とか出来ないか?
もうこれでもかと言う位、
あらゆる人に相談し、
調べ 手を尽くした。
セカンドオピニオンで
名古屋の国立癌センターにも 行ったが、
結果は同じ。
『年は越せないかも…』
そう言われ、
「地元の病院に帰ろ」って先生に呟いた
記憶は何となく覚えてます。
その時先生が、
「せっかく名古屋まで来てるんやから美味しいうどんでも食べたい」
と言ったので、
殆ど何も口を通らなかったんやけど、
病院の食堂で家族4人でうどん食べました。
「美味しいなぁ」
そう言って少しだけ食べてたな
即地元の病院に入院して、
何とか年は越せましたが
抗癌剤も使えない程、
転移が進み
見る見るうちに衰弱していく姿を
見てるのが辛かった。
本人はもっと辛いんやから 俺が明るく接しようと心掛けてました。
そして
成人式
1人で歩くこともままならない状態やのに
1人だけどうしても着せたい子がおるんや!!
アホな!!
それは、先生の40年来のお客様のお孫さんで、
七五三、
十三詣り、
節目ごとに先生がお支度されてきた子の成人式だったんです。
先生が悪いのは、店でも秘密だったので
お客様は誰も知りません。
病院も、そんな事したら寿命縮まる!
そう言われましたが、
先生のやりたい事を 最後にさせてあげたかった。
そのお客様の家に
事情を説明に行き
お母さんにも了承を得て
当日を迎えました。
僕は成人式のヘアーで大忙しなので
病院には他の人に迎えに行ってもらい、
いよいよという時、 やっぱり1人で立てない!
その20歳を迎えた本人には伝えてなかったので
様子がおかしい事ぐらいすぐ気づく
ここで先生の
ど根性発揮!!
十分ではないにしろ、
最後までやり抜きました。
その様子は勿論僕は見られませんが、
その子が下に降りてきて
直ぐに 僕の所に来て
修くん!先生に着せてもらったで!
もう他のお客様も居ましたが、
涙が止まりませんでした!
こんなの後にも先にも無いと思います。
病室に行くと先生が泣いてました。
十分に納得のいく着付けがしてあげられんかった!!
それが先生の美容師としての 最後の仕事。
その3日後に逝きました…
かっこ良すぎるで!先生! 最後までプロフェッショナルな人でした。
僕の誇りです
今でも、お仏壇の前では 「先生、お疲れ様でした」 から始まります。
ピンボケですが、こんな豪快な笑い方をする
僕にとって偉大な母親です。
又、オカンって呼べる日が来るまで頑張ります!